このブログの当初のコンセプトは、「茶道を学ぶビジネスマンのお稽古日誌」でした。少し思うところがあり、軌道修正したいと思います。
茶道のお稽古を続けて9年が経ちました。1か月に2〜3回程度しか教室に行けないため、なかなか上達しませんが、この9年でいろいろと勉強し、また茶道というものを観察することができました。
茶道を学ぶと、日本の文化を学ぶことができる。
和の心を知り、自分の躾(しつけ)になる。
作法を通じて、マナーを身につけることができる。
と、一般には思うかもしれません。実際には、そのとおりであり、「そうでない場合もある」ということを感じました。
お茶会のとき、正客や末客を避けるために大騒ぎをする人がいる・・・
お稽古に来ているのに、おしゃべりしかしない人がいる・・・
生徒同士の不仲によって、場が暗くなる・・・
先生に質問ばかりして、お稽古の流れをとめる人がいる・・・
高いお金を出してお茶会に行ったのに、先方の都合で席に入れず・・・
先生と生徒がトラブルになり場が荒れる・・・
こんなシーンを見るにつけ、なんだかいたたまれなくなりました。
30代半ばのビジネスマンとしては、本当は語学学習やビジネススクール、サイドビジネスの企画・実施などに注力したほうがいい。それでも茶道に通って、半日、あるいは丸1日を費やしていいのか。時々、こんなことを思ってしまいます。
前にも、こんな文章を書いた記憶が・・・
それでも、
すばらしいお茶会に参加できたり、
お茶会でお点前をさせていただいたり、
お初釜など季節ごとの楽しみがあったりと、
茶道の素晴らしさも感じています。
でも、
本当に感動したのは、京都で野点のお茶会をした時です。
京都の知人が、鴨川でお茶を飲みたいという私の思いをうけとめ、企画してくれました。その時、私は茶道を習っているので、茶道のルール通りに進めようとしていました。他の参加者は、茶道をやったことがない人たちでした。企画した知人は、「好きなように点ててみて。おいしくいただきましょう」と参加者を促し、みんな楽しそうにお茶を点てる。夕暮れの風に吹かれて、参加者が用意したお菓子と抹茶をいただく。
ああなんてすばらしい時間なんだろう。日本人でよかった。
そう思いました。
茶道を、誰かに教えるわけでないのなら、
ひとりで道具を揃えて楽しんだっていいんじゃないか。
それは茶道と呼べるものではないかもしれないが、
抹茶を点てていただく楽しさ、その原点に戻りたいと思います。
茶道に興味を持って、検索エンジンからこのブログにきたあなたが、明日にでも茶筅を回して点てている。そんなシーンを目標に、記事を書いていきましょう。
posted by 茶疾風(cha-hayate) at 23:02
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茶男子コンセプト